TOP
戻る
「あら、懐かしい人が来たみたいですね。」
教皇は、両方の瞳が閉じられていても、まるで見えているかのように優雅に振り向いた。
立っているのは、背が高くて筋肉質な体をしている男。
年は20代後半か、30代前半といったところだろうか。
決して、周りのものに気付かせまいとしているが、昔を知っているものから見れば、疲れたような、諦めにも似た雰囲気を漂わせていることがわかる。
「……結界だけでアレは止まらんぞ。」
男は静かに言った。
何もかも知っているかのように。
「ふふっ、そうでしたね、貴方が一番よく知っているでしょう。魔王を倒した英雄ですもの。」
その口調には、懐かしさと、かすかな蔑みが混じっていた。
「でも、それを知っているなら、なぜ貴方は何もしないのですか?傍観者でいると?」
見透かしたように詰め寄る。
男は哀しみの表情を浮かべてうつむく。
「……俺は、もう十分戦ったはずだ……。」
弱々しく吐いた言葉。
哀しみの連続だった。
何度も膝をついては立ち上がり、たくさんのものを失って、ようやく得た勝利。
しかし、それも束の間でしかなかった。
「……今の貴方には、居酒屋の店長がお似合いです。せいぜい身近にいる者だけを守って下さい。」
興味を無くしたと言わんばかりに、店長に背を向けた。
「……。」
店長は何も言うことが出来ず、いや、何も言える立場では無いと悟り、出口へと足を向けた。
その背に声がかかる。
「……私は隊長のことが好きでしたよ。あのキラキラと輝いていた時の貴方が。」
店長が足を止める。
しかし、振り向かずに再び歩き出し、教会を出ていった。
「大丈夫。私が魔王を止めますから。この命に代えても……。」
誰もいない教会で、一人呟く。
あの時の、あの光景を思い出して、少し泣きそうになった。
数を増やし、蹂躙。
ネズミほどの大きさの個体が、群れを成し、群れを個体として、縦横無尽にリプルを這いずり回った。
黒いカーペットをひかれたような道。
カーペットが迫る。
飲み込まれた人は、ダルマの落としのようにまず足を喰い千切られる。
そして、後続に、膝、太もも、と下から順番に喰われていき無くなる。
食べ残しは無く、カーペットの通り過ぎた道は異様な静けさだけが残っていた。
そして、目的地を見つける。
聖なる光を発する塔の入口。
門番を喰らう。
反撃を受けながらも、数で圧倒。
喰らい尽くして、塔に侵入。
駆け抜ける。
障害は全て飲み込み、ひたすら喰らう。
常に満たされない。
だから喰らう。
祈りを捧げ、聖なる光を呼び込む複数の神官がいた。
残さずペロリと平らげる。
悲鳴を上げる暇なんて与えない。
かすかな血の跡だけを残して、人類を守護する砦を陥落。
一つ一つ確実に。
喰らい尽くしていく。
人間サイズの闇が、街を散歩するかのようにフラフラと歩く。
大して何も考えていない。
ただ本能と刻まれた命令だけがアイデンティティー。
目につく人間をおもしろおかしく追いかけまわして、飽きたら適当に引き裂く。
ハラワタを撒き散らしては、建物を赤く染める。
なんだかそれが楽しくなって、塗りたくる。
街のある区域の建物は鉄の匂いのする赤で染められていたという。
「た、助けて!!」
グシャッ。
胴体を真っ二つに斬り裂いて、上半身が這ってでも逃げようとあがく様を嘲笑う。
首を蹴りつけてもぎ取ると、リフティング。
複数の闇がサッカーを始めた。
宙を飛びかう首を、奪いあい、オーバーヘッドキック。
邪魔な人間にぶつかって、潰れる。
形が歪んだのが気に食わない。
新しいものを調達して再開。
そんな喜劇じみた悲劇の合間に塔が次々と機能を失っていく。
そして、リプルの守りは消え失せた。
「ギャハ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
腹の底から大笑い。
魔王の笑い声は人々を不安にさせる夜のざわめき。
人間達が作りあげた闇への対抗策が、あまりにも脆弱過ぎて腹がよじれそうだった。
「どれだけの年月を重ねても愚かさは変わらぬな!」
尊敬に値するよ、と高らかに叫ぶ。
リプルを囲むモンスターの群れが、一斉になだれ込む。
殺せや、奪えと、轟きいななく。
「あぁ、哀れ、人間共は醜く、暗い闇に呑まれて死んだとさ。クックックッ、笑わせてくれるなぁ〜。」
ちょっと、その辺ぶらついてくる、そんな歩調でリプルをゆるやかに歩く魔王。
あちこちで行われる虐殺を、お芝居でも見るかのように楽しみながら、大聖堂を目指す。
目の前を小さい女の子が走っていた。
追いかけるのは我が娘を守ろうとする母親。
麗しい愛。
魔王はありきたりの愛に、思わず笑みをこぼした。
「ちゃんちゃらおかしい、ってね。」
蹴り飛ばす。
壁に貼りついて、血をタラタラと流しながらズリズリと落ちる。
母親の絶望的な表情。
「ははっ、絶望を抱いて生きるがいいさ!」
負の感情こそが闇に生きるモノの糧。
生かしておくだけで食材になり、死んだら死んだでいなくなって清々する。
「一石二鳥?いや、違うかな。まぁ、便利な家畜には違いない。」
不条理は再び大聖堂を目指す。
背後ではモンスターに襲われた母親の叫びが聞こえたが、どうでもよかった。
「……逃げよう。」
守りの光が消えた。
膨れあがる闇の気配。
そこからはまだ遠かったが、まもなく蹂躙されるだろう。
「ここにいたら確実に死ぬ。」
縁はゆかりの手を取り、時也に目配せする。
「もう少し様子を見てもいいんじゃない?」
周りはまだ動き出していなかった。
縁は時也の甘い考えに内心舌打ちをして、説得を始める。
「他の奴らが動き出してからじゃ遅い。それに一斉に動き出すと混乱の恐れがある。今の内にさっさと逃げたほうがいい。」
縁の不安はどんどん大きくなっていく。
何か取り返しのつかないようなことが起こる、そんな嫌な予感がした。
「でも、私達は『勇者』なんだから、ちょっとは頑張らないと。」
ゆかりが少しの正義感と責任感に後押しされて、顔をあげた。
縁は首を振る。
「違う!俺達は、なりたくて『勇者』になったわけじゃないんだ。どこかの誰かのために命を賭ける必要なんか無い!そんなものはやりたい奴だけにやらせておけばいいんだ!」
ゆかりは納得いかないという顔をしている。
時也は何も言わない。
(くそっ!無理矢理連れ出すか?早く逃げないと、絶対やばい!)
そうやって悩んでいると、女の子がやってきた。
「ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは『勇者』様なの?」
カクン、と首を傾げる女の子。
周りの大人が様子を見守っていた。
期待と救いを求める眼差し。
縁は薄ら寒いものを感じてゾクリとした。
「え、えっと、うん、『勇者』だけど……。」
そう答えるしか無かった。
それを知っているものは多くないが、少なくもない。
この状況での嘘は命にかかわる気がした。
(……どっちにしろ、もう変わらないだろうがな。)
「勇者様!助けて下さい!」
「どうかこの子だけでも!」
「勇者なんだから、早くなんとかしろよ!」
「なんでこんなところにいるんだよ!」
「あっちには友達がいるの!早く助けにいってよ!」
「勇者は俺達のために命を捨てるのが仕事だろ!」
「そうだ!一体でも多くのモンスターを殺してから死ねよ!」
「逃げるな!戦え!」
「早く、俺達の盾になれよ!そのための勇者だろ!」
「戦って死ね!」
「守って死ね!」
人々の叫び。
怨みでもあるかのように口にされる言葉は、ゆかり達を死地へと追いやる。
縁は歯をくいしばりながら耐える。
ゆかりを見ると、膝が震え、今にも倒れそうなぐらいに青褪めていた。
「……姉ちゃん、聞くな。姉ちゃんは何も悪くないから。」
時也も受け流そうと努力しているが、無理な話であった。
「……ははっ、行くしかないのかな?」
笑みに力は無い。
「……コックには無理だろ。俺が行く。」
ここを治めるには誰かが行くしかなった。
(俺が行くしかない。姉ちゃんには戦わせたくないし。)
縁が一歩踏み出す。
すると、ゆかりも一歩踏み出した。
「私もいくから。ほら、私、魔術師だから少しは戦えるよ。」
忘れてたけどね、と付け加える。
まだ顔色は良くなかったが、決意の表情。
いや、決死の覚悟。
「ダメだ!姉ちゃんは待ってろ!」
思わず声を荒げる縁。
だが、無情にも人々は二人への道を開く。
人々の海が割れ、死刑台への道が現れたようだった。
「行こうよ、縁。きっと大丈夫。」
精一杯の強がり。
頑張って作った笑顔が眩しかった。
「……まったく、根拠も無しに。俺から離れるなよ。」
縁は覚悟を決めた。
自分が砕け散ろうとも姉を守ってみせると。
(とりあえずは、時也だけでも生き残って欲しいもんだ。)
見送るほうと見送られるほう、共に『勇者』であるが故に苦しかった。
片や死地へ、片や裏切りの烙印。
縁はどちらも嫌だな、と思ってから、神経を研ぎ澄ませた。
思考をクリアに、盗賊の中のより攻撃的技能を呼び覚ます。
(使うことになるとは思わなかったし、使いたくもなかった……。)
盗賊というより、暗殺者の領域。
護身用程度のナイフでどこまで出来るのか?
戦いの経験無しでどこまで出来るのか?
世界の修正力だけを信じて、戦いの場へ。
しかし、たいして移動する必要も無かった。
なぜなら戦場はすぐそこまで迫ってきていたから。
何気なく現れる敵。
敵、敵、敵。
探す必要も無く、眼前に腐るほど。
あっさりと囲まれていた。
モンスターの遭遇に逃げ惑う民衆を背に、縁達は敵を睨む。
(……無理だ。捌けない。逃げることさえ出来ない。ここで死ぬ。なんとか姉ちゃんだけでも。それも無理。無理。無理。これが死?いや、まだ生きてる!何とか活路を!)
無意識に体が動いた。
生を掴むために、目の前のものを蹂躙する。
生きるために殺す。
愛とか平和はどうでもよかった。
お気軽に叩いてやってください、喜びます(笑)
TOP
戻る